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岡山地方裁判所 昭和46年(わ)727号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

ただし、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、証人下山俊行、同行本一之、同岡武志、同行本吉季に支給した分を被告人の負担とする。

本件公訴事実中詐欺の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、岡武志と共謀のうえ、下山俊行(当時二二歳)運転の軽四輪自動車に追越しをされた際、当て逃げしたと因縁をつけ金員を喝取しようと企て、昭和四六年七月一八日午後一一時三〇分ころ岡山県和気郡佐伯町矢田字中保木一、一〇二番付近の路上において、同人に対しこもごも「お前どんな運転しようるんなら。腕に当つて怪我をした。どないしてくれるんや。治療代を出せ。おどりやあ半殺しにして川に叩き込んでやろうか。」などと怒号し、岡において右手拳で同人の顔面を一回殴打し、腹部を膝で一回蹴りあげ、更に木刀で殴打しかかる等の暴行、脅迫を加えて金員の交付方を要求し、もしこの要求に応じないときには同人の生命身体にさらに如何なる危害を加えるかも知れない気勢を示して同人を畏怖させ、治療代名下に金員を喝取しようとしたが、被告人の友人井上早苗に止められたためその目的を遂げず

第二、岡武志、中本漸、井上文男、時本慎一と共謀のうえ、同月二六日午後六時三〇分ころ、同県赤磐郡熊山町沢原一二番地磐梨中学校前付近路上を自動車で対向通過した行本一之(当時一八歳)が泥水をはねて中本の着衣を少々汚したことに因縁をつけ、クリーニング代名下に金員を喝取しようと企て、同町殿谷地内まで約一粁の間追跡して停車させたうえ、同人に対しこもごも「お前泥をはねて逃げやがつてなんじや。止まれ言うたのにわからんのか。この上の池のところまで行け。行けんのならわしが運転していつたる。」などと申し向けて脅迫し、畏怖した同人が同町殿谷九番地の一叔父行本吉季(当時五二歳)方に行つて助けを求めるや、同人方におしかけ、同人に対し、こもごも「お前ところの息子が泥をはねて逃げた。こんなに汚れて明日から仕事に行けん。洗灌する間裸でおらんならん。どうしてくれるなら。このズボンは一万円するんじや。」などと怒号するなどして、暗に金員の交付方を要求し、もしこの要求に応じないときには同人らの身体に如何なる危害を加えるかも知れない気勢を示して同人を畏怖させ、即時同所において、同人から現金三、〇〇〇円の交付を受けてこれを喝取し

たものである。

(証拠の標目)省略

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の判示第二の所為は、行本一之が被告人らの乗車している自動車の側方を通過した際、共犯者時本慎一の顔に泥水をはねかけたために、時本が行本一之に対して有する損害賠償請求権の行使をしたにすぎないので、正当行為であるか、仮りにしからずとするも、過剰防衛に該当する旨主張するが、前掲各証拠によれば、行本一之が側方を通過する際主として共犯者中本漸の着衣に少々泥水をはねかけたが、その程度は損害賠償請求権を云々する程のものではなく(現に、行本吉季方へ行くまでの間に、中本は、汚れ方が少いとして、自動車の外側に付着した泥で自己のズボンを自ら汚している。)、被告人らとしても損害賠償請求権を行使するとの意図ではなく、泥水をはねかけられたことに因縁をつけて金員を脅し取ろうとの意図を有していたものと認められるので、右正当行為の主張は採用することができず、また、右過剰防衛の主張は全く理由がなく到底採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二五〇条、二四九条一項、六〇条に、判示第二の所為は同法二四九条一項、六〇条に、それぞれ該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、本件において被告人が果した役割等諸般の事情を考慮して、被告人を懲役一〇月に処し、情状により同法二五条一項一号を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により証人下山俊行、同行本一之、同岡武志、同行本吉季に支給した分を被告人に負担させることとする。

(無罪部分の理由)

本件公訴事実中詐欺の点は、

被告人は、昭和四六年九月二一日午後七時ころ、岡山県和気郡佐伯町矢田四五三番地先路上で武藤文光の運転する周藤タクシー所属営業用普通乗用自動車(岡五い四七三号)に乗車し、同所より岡山市駅元町一番一号岡山駅西口まで運転走行させたが、タクシー料金を免れる目的をもつて同人に対し「すぐ戻つてくるからちよつと待つてくれ。」などと虚言を申し向け、同人をしてその旨誤信させて下車逃走して、右区間のタクシー料金一、七五〇円の支払を免れ、もつて右料金相当の財産上不法の利益を得たものである。

というのである。

被告人の、当公判廷における供述、検察官に対する昭和四六年一〇月二五日付および司法警察員に対する同月一八日付各供述調書ならびに第二回公判調書中証人武藤文光の供述記載部分によると、被告人は同年九月二一日午後七時ころ岡山県和気郡佐伯町矢田で顔見知りの武藤文光が運転する周藤タクシー所属営業用普通乗用自動車(岡五い四七三号)に現金七、〇〇〇円を持つて乗車し、同所から岡山市駅元町一番一号岡山駅西口まで運転走行させたが、途中右武藤が被告人に対し「あんた岡さんの家に居るんか。不良ばあせずに家へ帰らにやいけまいが。岡さんは指名手配になつているという噂もある。」などと説教じみたことを言つたのに立腹し、その報復としてタクシー料金を支払わない意図のもとに、右岡山駅西口において同人に対し「すぐ戻つて来るからここで一寸待つてて。」と嘘を言つて下車し、同人をして被告人がすぐ戻つて来て再びタクシーに乗車するものと誤信させてその場に待たせたまま逃走し、右区間のタクシー料金の一、七五〇円の支払をしなかつたこと、右武藤としては、被告人の家を知つており、従来被告人の母親を乗せたときにも料金は後で支払うからと言われ、下車の際直ちに支払を受けなかつたことがあり、本件の際も、もし被告人から料金は後で支払うと言われたのであれば、その場で支払を受けずに帰つたであろうことおよび被告人もこの間の事情を承知しており、その場で料金を支払わなかつた場合にはタクシー会社の方から被告人の母親のもとに集金に行つて支払われることになると思つていたことが認められる。

ところで、刑法二四六条二項の「財産上不法の利益を得たる」罪が成立するためには、他人を欺罔して錯誤に陥れ、その結果被欺罔者をして何らかの財産上の処分行為を為さしめ、それによつて自己が財産上の利益を得たのでなければならず(最(二)小判昭三〇・四・八集九・四・八二七参照)、単に逃走して事実上支払をしなかつただけで足りるものではない。従つてまた、詐欺罪における期罔行為とは、欺罔者の行為がそれ自体被欺罔者の側における財産上の処分行為を招来するような作為または不作為、換言すれば、被欺罔者が財産的処分行為をなすための判断の基礎となるような事実をいつわるものであることを要すると解すべきである。そうすると、本件において被告人が武藤に言つた「すぐ戻つて来るからここで一寸待つてて、」との言葉は、これを信じた右武藤をして、被告人が一時下車して用足しをすることを容認させるだけで、タクシー料金の支払を免除しあるいは猶予するなどの財産的処分行為をさせる態のものではなく、言わば被告人が逃走するための方便としての意味しか持たないもので、欺罔行為には当らないと言うべきである(仮りに、武藤が、被告人の下車の際当然即時なすべき料金の支払請求をしなかつたことをもつて、一般的には前述の財産的処分行為に当ると解する余地があるとしても、前述した本件の事情のもとでは、仮りに武藤が、だまされなかつたとしても、その場で債権の全部または一部の履行あるいはこれに代りまたはこれを担保すべき何らかの具体的措置がぜひとも行なわれざるをえなかつたであろうような特段の事情があるとは言えないで、武藤が即時料金の支払請求をしなかつたことをもつて被告人が財産上の利益を得たということはできず、そもそもこのような効果しかもたらさない被告人の前記行為をもつて欺罔行為ということはできない。)。従つて、被告人の前記行為は詐欺罪には当らないものと言わなければならない。

よつて、本件公訴事実中詐欺の点については、その証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(瀬戸正義)

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